お疲れ様です。
親父
私の親父は、生粋の博打好きの、大酒飲みでした。
酒癖は、悪かったですね。
スタートから、終わってますねぇ。笑。
私が、三才の時に離婚をして、叔母ちゃんに私を預けて、外航の船乗りでしたね。
職業は、今で言う、船舶料理士です。
たま~に、帰ってきました。
当時、私は、叔母ちゃん家に居たので、親父も来てましたよ。
飲んでなかっら、おとなしいんですがね。
でも、帰った時は、私は、たまに、叔母ちゃんには買って貰えない、オモチャを、買って貰えた覚えが?
そして、覚えているのが、ライダーベルト。
嬉しかったですね。
そして、すぐに無くした、ミッキーマウスの時計。
怒られるのが、怖くて打ち明けられませんでしたよ。
素直に、言ってセーフでしたけど。笑。
遊び
遊園地などは、記憶にありません。
釣りに、三回行ったのは、覚えていますよ。
小学生の時が一回で、後は社会人になってが、二回ですね。
一番覚えているのは、やっぱり三回目ですよ。
ブログでも書きましたが、真冬の海にゴムボートの転覆で、びしょ濡れのまんま、ブルブル震えながら二人で帰りましたから。
一時間位かけて行って、釣り糸も、垂らさずでしたし。笑。
社会に出てからは、一時は実家には、遠のきましたね。
でも、何年かたって、年に二回位は行くようになってました。
一緒に、お酒を飲んでましたよ。
よく、親父は、酔っ払って、ステーキを焼いてくれました。
料理を、してましたからね。
懐かしいです。
年に二回なので、母親とも普通の会話位は、するようになってました。
今、考えると、私は親には、ずっと気を使っていたかもしれませんね。
なるべくなら、親子では、それは避けたいと今では思いますよ。
旅立ち
ある年の、ゴールデンウィークの終わりに、自宅に、電話が入りました。
親父が倒れたと。
私は、まさかっと思いましたよ。
どこも、悪そうではありませんでしたからね。
しかし、タバコと酒は毎日だったでしょう。
そして、病院に行くと、変わりはてた親父が集中治療室に、いました。
グッときましたよ。
パイトに行って、仕事の昼の休憩時間に、タバコに火をつけて、吸って、そのままですかね。
願いも、むなしく、それから何日かたって旅立ちました。
その、瞬間には立ち会いましたよ。
看護師が手を、握ってあげてと言われて私の記憶では、生まれて初めて手を、握りました。
ごつかったですね。
旅立った瞬間は、血縁の近い人は、もういなくなったなと思いました。
産みの母親には、もう会う事はないでしょうから。
それから、今はコロナで、手をつなぐ事はないかもしれません。
当時は、そういう人を見ては、はずかしくないのかと思ってましたよ。
でも、最後に親父の手をにぎって、思いましたね。
本当は手を、握りたいと思える人が自分の近くにいれば、幸せなのじゃあないかと思いました。
今は、コロナですけどね。
本日も有り難うございました。
感謝します。
秋になりましたので、入浴剤をエプソムソルトに戻しました。
昨日から、同じ物を我が家でも使ってます。
めちゃ、汗でした。笑。