お疲れ様です。
愛情
何それ?
友達のお母さんは、よく見えますね。笑。
テレビのシーンじゃないですけど。
家で、嬉しかった記憶はありませんよ。
中学生になり、家では、自分の部屋もなく、外にいる時の方が、多かったですかね。
あとは、たまにやっぱり叔母ちゃん家ですか?
でも、友達の前では、家庭の事情は、言えません。
中には、いましたよ。
親のいない人や、片親の人。
しかし、その人たちは、わかりあえる兄弟や姉妹、そして、祖父母がいましたかね。
でも、心は冷めていたかも知れません。
みんな、大変なのは、わかっていたつもりでしたが、当時の、一人は辛かったですよ。
話を打ち明けられる人が、近くにいませんでしたから。
叔母ちゃんの家には、新聞配達には、毎日行くけど、学校帰りに毎日いけませんからね。
それでも、たまに行って、愚痴を言ってましたよ。笑。
中学から高校へ
当然、私は、落ちこぼれです。
取り柄でも、あればいいのですが、ビビりの度胸は無しですね。笑。
格好だけですよ。
中学校は、当時は坊主頭でした。
格好をつけて、剃りこみや、眉毛を細くしていましたかね。
たまに、失敗して、おかしくなっている人もいましたよ。笑。
そして、高校進学の時期になりました。
私は、進学したいけど、親は、公立以外はいかせないと!
私立は受験も無しです。
私からしたら、学園ドラマじゃないですよ。
でも、今の成績では、当時の私が行けそうな高校もあやうしなんですよ。
それから、塾に行くあてもなく、毎日、叔母ちゃん家で勉強です。
姉ちゃんが、大学生で、変わった叔父さんが、元、警察官で英語が得意だったので、二人から、教わりました。
そしたら、どうにか合格できました。
嬉しかったですよ。
手紙
私は、結果一年で、辞めてしまうのですが、人生で楽しかったのは、この時期が一番だったかもですね。
友達は一六友の会。
初めての、大好きな彼女。
最高でした。
当時、親父はまた船乗りに戻り、母親とは、私は、折り合いは凄く悪かったですね。
若いので、勢いで行動ですよ。
今、考えると情けないですね。
学校に、行く、行かないで揉めて、母親の言う事は聞きたくなかったので、辞める方向でで決定です。
その時に、友達の親が、家から通って全部出してくれるって、当時の私の胸が熱くなる言葉をかけてくれた方がおられました。
当然、その好意は、受けきれませんでした。
そして、友達から、彼女、全部、失いましたよ。
学校に、行きませんからね。
学校を辞めて、叔母ちゃんが高校に行くお金を少し出してくれたのを、その後に知る事になりました。
それから、叔母ちゃんから、社会に出る私に向けての手紙をいただきました。
私は、バカやろうですよ。
当時はわからなかった。
今、こうしてブログを書けているのも、出会いは、どうであれ、人との繋がりです。
人に良くできる人は、得を積まれた方が、近くにおられるのかもですね。
私は、一生なれないかもしれませんが、感謝はして、これからは、生きていきます。
この、叔母ちゃんの話はゲシブログ、8.13に飛んでます。
又の機会に、他のエピソードに触れる事があればその時は、またお願いします。
本日も有り難うございました。
感謝します。