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ゲシブログ9.11叔母ちゃん③(愛情~進学~手紙)

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お疲れ様です。

目次

愛情

何それ?

友達のお母さんは、よく見えますね。笑。

テレビのシーンじゃないですけど。

家で、嬉しかった記憶はありませんよ。

中学生になり、家では、自分の部屋もなく、外にいる時の方が、多かったですかね。

あとは、たまにやっぱり叔母ちゃん家ですか?

でも、友達の前では、家庭の事情は、言えません。

中には、いましたよ。

親のいない人や、片親の人。

しかし、その人たちは、わかりあえる兄弟や姉妹、そして、祖父母がいましたかね。

でも、心は冷めていたかも知れません。

みんな、大変なのは、わかっていたつもりでしたが、当時の、一人は辛かったですよ。

話を打ち明けられる人が、近くにいませんでしたから。

叔母ちゃんの家には、新聞配達には、毎日行くけど、学校帰りに毎日いけませんからね。

それでも、たまに行って、愚痴を言ってましたよ。笑。

中学から高校へ

当然、私は、落ちこぼれです。

取り柄でも、あればいいのですが、ビビりの度胸は無しですね。笑。

格好だけですよ。

中学校は、当時は坊主頭でした。

格好をつけて、剃りこみや、眉毛を細くしていましたかね。

たまに、失敗して、おかしくなっている人もいましたよ。笑。

そして、高校進学の時期になりました。

私は、進学したいけど、親は、公立以外はいかせないと!

私立は受験も無しです。

私からしたら、学園ドラマじゃないですよ。

でも、今の成績では、当時の私が行けそうな高校もあやうしなんですよ。

それから、塾に行くあてもなく、毎日、叔母ちゃん家で勉強です。

姉ちゃんが、大学生で、変わった叔父さんが、元、警察官で英語が得意だったので、二人から、教わりました。

そしたら、どうにか合格できました。

嬉しかったですよ。

手紙

私は、結果一年で、辞めてしまうのですが、人生で楽しかったのは、この時期が一番だったかもですね。

友達は一六友の会。

初めての、大好きな彼女。

最高でした。

当時、親父はまた船乗りに戻り、母親とは、私は、折り合いは凄く悪かったですね。

若いので、勢いで行動ですよ。

今、考えると情けないですね。

学校に、行く、行かないで揉めて、母親の言う事は聞きたくなかったので、辞める方向でで決定です。

その時に、友達の親が、家から通って全部出してくれるって、当時の私の胸が熱くなる言葉をかけてくれた方がおられました。

当然、その好意は、受けきれませんでした。

そして、友達から、彼女、全部、失いましたよ。

学校に、行きませんからね。

学校を辞めて、叔母ちゃんが高校に行くお金を少し出してくれたのを、その後に知る事になりました。

それから、叔母ちゃんから、社会に出る私に向けての手紙をいただきました。

私は、バカやろうですよ。

当時はわからなかった。

今、こうしてブログを書けているのも、出会いは、どうであれ、人との繋がりです。

人に良くできる人は、得を積まれた方が、近くにおられるのかもですね。

私は、一生なれないかもしれませんが、感謝はして、これからは、生きていきます。

この、叔母ちゃんの話はゲシブログ、8.13に飛んでます。

又の機会に、他のエピソードに触れる事があればその時は、またお願いします。

本日も有り難うございました。

感謝します。

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