お疲れ様です。
再婚
親父が再婚。
叔母ちゃんの、家を出る日が近付いてきました。
三才から小学5年まで、あっという間でしたね。
習い事は、習字とそろばんを、行かせて頂きました。
その後、すぐ辞めたのですがね。
そして、希望しか、なかったですよ。
家族での、生活ですから。
憧れでしたからね。
叔母ちゃんにも、喜んで報告していましたよ。
そして、この後、起こる事もしらずに胸を脹らまして、叔母ちゃんの家を出ていきました。
今、文書を打ちながら、熱く、こみ上げてます。笑。
心のよりどころ
期待して、叔母ちゃんの家を出たんですけどね。
待ち受けていたのは、ろくでもない生活でしたよ。
私に取っての家族、言葉だけでしたね。笑。
そして、私は弱い人間ですので、再び叔母ちゃんの家に通う様に、なっていました。
そして、叔母ちゃんの家に行くと、姉ちゃんに、兄ちゃん、そして、変わった叔父さんにからかわれていましたよ。
心のよりどころって、大切ですね。
まだ、この時はわかってませんけど。
そして、家に、帰りたくなかったですから。
子供が、帰りたくないって、遊んでじゃありませんからね。
寂しい子供でしたよ。
学校の旅行
これは、一生忘れないでしょうね。
中学生に上がると、新聞配達をしていました。
小遣いなんか、ありませんからね。
そして、当時は、給料も没収されていましたよ。
その中から、なんぼかは貰ってましたけど。
足りませんよね。
しかし、没収された分ほど、後に迷惑をかけましたけど。笑。
とりあえず、話を、もどしますね。
そして、学校の旅行があったんですよ。
小遣いは、当然、持っていません。
ちょうど、当時、私は、叔母ちゃんの家に新聞を配ってましたね。
叔母ちゃんは、私の内情を知っていました。
小遣いを、持ってないと築いて、心配してくれたのでしょうね。
旅行当日の朝、ポストに、白い便箋に私の名前を書き、100円玉詰めて、置いてくれて、いました。
今、思うと貯めていたのを、私の為に使われたのでしょうね。
嬉かったです。
この、人が困っていて、自分が今出来る事をするのは、この事から、教わった気がします。
思いやりは、叔母ちゃんが私にくれた賜物ですね。
人生はいろいろですよ。
本日も有り難うございました。
感謝します。