お疲れ様です。
救世主
当時の私は、毎日がどうでもよかったですよ。
今も、たいしてかわりませんがね。笑。
でもですねぇ、義母に厳しい人がいました。
義母の親。
ばあちゃん。
私には、優しかったですよ。
来たら、小遣いをくれますからね。
我が家には、そんな風習はありませんでしたから。
今、思うと、問題が、起きるたびに来ていたのでは、なかったですかね。
親父とケンカをして、別れ話がでたら、今時の親なら、帰って来なさい、でしょう。
しかし、このばあちゃんは、辛抱しろだったと思いますよ。
当時の、私は、辛抱しないで下さいだったのですがね。笑。
私は、二の次なので、どうにもなりませんけど。
そして、私の記憶では、義母の姉弟は強者揃いだったと思います。
そして、この人たちも、私には優しかったですね。
義母の姉弟
当時、義母の姉弟にも、私に近い子供がいましたね。
私より、年上です。
子供だったので、すぐに打ち解けましたよ。
しかし、はっきり言って、私と育ちの差は出てました。笑。
当時の、プロレス興行の時に選手に花束贈呈とか、していたんじゃないですかね。
私は、家で、生の中継を観てましたけど。笑。
そして、これも、最初で最後の大イベントが発動していました。
再婚したので、こちらに義母の親族が来ると言う話です。
当然、我が家は狭いので、こちらの有名な所に行こうと言う事です。
動物園。
でも、私はいとこの家の外車に便乗した事位しか覚えてませんがね。
しかし、良かったんですよ。
この少しでも、日常が、忘れられることが。
逆の話
私が、義母に連れられて、いとこの家に行く時です。
私からしたら、都会ですよ。
近くに、自然の山や畑は見えませんからね。
そして、駄菓子屋は、すぐ近くにあります。
ちょっと、近くの百貨店に行く時は、皆とはぐれるのが、怖かったです。笑。
いつもなら、セカンドの次が、ホームの野球を、田んぼでしている子供ですから。
それから、いとこの家に行くと義母とは、別行動でした。
毎日、呼び出しはありましたよ。
しぶしぶ、行ってましたね。
ご飯は、いとこの家です。
家族団欒。
良いですね。
しかし、我が家と共通点が一つ、テレビが巨人戦。
そして、いとこの親に私が見た事もない札束を見せられて、あげる。って、かもわれていましたね。
当然、私は作り笑いの一択ですよ。
そして、電車で次の日に帰ります。
当時の親父は、出不精なので来ません。
私は、駅から、家に歩きながら親父が飲み過ぎて、スイッチが入ってないのを、心で祈って帰ってましたね。
しかし、叔母ちゃんと、この人たちには、感謝してます。
本日も有り難うございました。
感謝します。