お疲れ様です。
再婚
お母さんは、私は憧れでしたからね。
叔母ちゃんの家で、暮らしていたら新しいお母さん情報が、入ってきました。
子供がてらに、嬉しかったですよ。
私との、初対面は、優しかったです。
親父と義母との出会いは、小料理屋か、食堂で、働いていて、親父がそこに行って、出会ったのでしょう。
よくあるパターンですかね。
私は、叔母ちゃんの家を、凄く喜んで、出て行って、新生活はウキウキでした。
そして、新生活を始めてすぐに、これも初めての友達を、呼んでの誕生日会。
一大イベントですよ。
でも、最初で最後でした。笑。
このまま、続くと思われたのですがねぇ、ドラマみたいな展開になるとは!
まずは、親父は再婚したては、船を降りて慣れない陸での仕事でしたね。
私は、母親の愛情に飢えていた、取り柄の無い息子です。
そして、義母は、蓋を開ければ、気が強すぎて、曲げない性格!
すぐに私は母親像は、崩壊してましたよ。
後楽園ホール
いやぁ、パターンは悪すぎですよ。
大部分、割愛ですね。笑。
晩御飯の時に、親父が酒を飲み過ぎると始まります。
些細な事でですよ?
まずは、親父は、早口になります。
船乗り時代は、外航。
大きな声で、義母にシャラップ。
そして、しゃべってますが、何語?
私はアメリカにいるのですかね!笑。
もし私が、ランゲージの勉強を、していてもわかってませんよ。
そして、義母も一歩も引きません。
当時はプロレスが流行っていて、まさに、我が家は後楽園ホールの伝統の一戦でした。
それも、狭い2DKで!
理想と現実
おかしいですね。
私の理想は、ロッキングチェアに座っていそうな優しいお母さん。
私の部屋がある、家。
それがですねぇ、ふすま一つで仕切られてる二つの部屋。
そして、自転車に乗った義母が、大声をだしながら、私を追いかけてきますね。笑。
夏になると、家の光に集まった窓ガラスで、ウンカVSヤモリ。
家の中は、世紀の一戦。
隣の部屋では、物と一体化している私。
辛かったですね。
夫婦の仲が悪くなると、連れ子は可愛くないでしょう。
私は、不細工です。笑。
今、考えると、門限も厳しかったですね。
しかし、ご飯が食べれたのは、恵まれていましたよ。
二人とも、食関係でしたから?
何故か、入隊してないけど、ラーメン5袋の支給。
でも、何かあると、最後に言われるセリフは、いつも私より不幸な子供は一杯いる。でしたね。
取り敢えず、本日はこの辺で。
有り難うございました。
感謝します。