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ゲシの日記6.7(母親編)②

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お疲れ様です。

目次

理想と現実。

私の描いていた予定では優しい母親はロッキングチェアに座ってにっこり私を見ながら、読書でもしてゲシくんおやつは何がいいって?

そして3LDKの自宅で私の部屋もあって…。

今晩のごはんは幸楽園に中華でもって❓

それがですよぉ。

まずは2dKの台所が狭くてふすま一つで仕切られてる二つの部屋。

当然、私専用の部屋なんかありませんよね。

そして自転車に乗った義母が私を追いかけて来る光景。🤭

夏になると家の光で窓ガラスに集まってきたウンカVSヤモリの光景❗

家の中は後楽園ホールばりの世紀の一戦‼️

隣の部屋で巻き込まれないようにビビりながら隠れて物と一体化している私。

ここは何処。私は誰。

これが現実でした。😭。

でも、ご飯が食べれたのは幸せでしたね。

めったにない焼き肉の晩はホットプレートの前に1パック何の肉かわからいけど置いてありました。

入隊した覚えはないけどラーメン5個入り一袋を配給された覚えはあります。

義母への思い

子供ながらに辛かったです。

親父と仲が悪くなると私は可愛くないでしょう。

私は不細工ですけど。🤭。

時間の門限も厳しかったですね。

そして、怒られた時に言われるのは、私よく不幸な子供は一杯いる。

ドラマのワンシーンですよね!

当時は、厳しい思いしかありませんでした。

救世主現れる

たまに来てました。

義母のお母さん。

このばあちゃんは、義母には厳しかった。

普通の親なら、今の時代直ぐに、帰っておいでかもしれません。

このばあちゃんは人生の、修羅場をくぐって来たのか、辛抱しろと言っていたんじゃないですかね。

当時の、私からしたら辛抱しなくていいですけど。😁。

しかし、ばあちゃんは私には優しかったですよ。小遣いはくれるし。

当然、我が家にはそんな風習はありませんでしたから。

そして、私の記憶では義母の兄妹は強者揃いでした。

でも、今考えるとこの人達の存在って当時の私には大きかったかもしれません。

続く。

本日も有り難うございました。

感謝します。

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